▼ | 【1621】【こだ運21】総合スレッド 南鉄/宮津覚 2014/05/12 00:54 |
【1686】Re:【こだ運21】京津電鉄の沿革つづき 南鉄/宮津覚 2014/06/16 02:30 |
【1687】Re:【こだ運21】京津電鉄の沿革つづき 南鉄/宮津覚 2014/06/16 02:42 |
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南鉄/宮津覚 2014/06/16 02:30 |
沿革の戦後編です。 4 特急、急行運転の再開と四宮車庫焼失 戦時中の車両の酷使により相当疲弊していた車両達ですが、戦後徐々に 整備が進み特急車60型も昭和23年には整備が完了したので、昭和15 年に休止となっていた優等列車の運転を昭和24年初頭から再開しました。 しかし同年8月発生した四宮車庫の火災により在籍車の大半を消失、特に 軌道区間用の車両を多数失ったため特急びわこ号の運転を中止して60型 を四宮折返しの普通列車に充当ししのぎました。 このことが京津電鉄の近代化のきっかけとなり、三条側の路面区間を除 き路面の電停を廃止して高床の高速電車化していきます。 5 琵琶湖周辺レジャーの活況と高性能車の投入 昭和30年代に入ると世の中も落ち着き、琵琶湖周辺のレジャーも戦前 のように活況を呈してきます。夏期は江若線沿線の湖水浴や湖西連山への 登山客、冬季はスキー客の輸送に京津電鉄の業績も向上しました。 このため近代化の資本投下が続けられましたが老朽化している在来車の 更新の必要に迫られ、ここまで一線を画していた京阪の支援を受けるに至 ります。昭和36年、2代目の特急車として2ドアクロスシートで貫通型 の高性能車400系が新造車として登場します。この車はラッシュ時の使用 も考慮して特急車でもありますが幅広の両開きドアとなっています。また 京阪に譲渡した元琵琶湖鉄道汽船100型の8両が京阪から里帰りし、機器 流用で350型が製造されています。これらに続き在来車も逐次更新されて 行くこととなります。 6 その後の京津電鉄 昭和40年代に入ると沿線の宅地開発も進み通勤客の増加に対応して、 急行、準急列車の終日運転と山科、四宮での緩急接続が行なわれ、高速 運転のネックとなっていたポールのパンタ化も行なわれました。 昭和40年代後半、京津電鉄として大きな問題となったのが、国鉄湖西 線の建設です。競合する叡山坂本線及び江若線の存続問題が紛糾し建設計 画も遅れていましたが、長らく続いた協議も整い江若線の近江今津以遠が 廃止されました。 京津電鉄は叡山坂本線を存続させることとし、湖西線建設の保証金をも って新型ロマンスカー800系を近年投入しサービス向上による集客力を 確保して湖西線に対向しようとしています。また、旧性能の在来車は車体 流用で高性能化及び冷房化が600系として順次更新が行なわれています。 間もなく湖西線が開業します。これに伴い残りの江若線、近江今津〜 叡山間は廃止となり、貨物の運用も終了します。これにより国鉄浜大津駅 (貨物駅)も廃止となり長らく借用していた膳所〜浜大津間の国鉄所有の 鉄道用地は京津電鉄に払い下げとなることとなっています。 以上が京津電鉄パラレルワールドの歴史です。 史実より湖西線の開業が遅いのでまだ江若線が頑張っています。また 600系の登場はかなり早い設定です。現実の世界では京津線も長らく 赤字線のようですが、こちらの世界ではまだまだ元気です。新しい車両 になりつつありますが、古い60型なども捨てず使っています。多分、 1500Vへの昇圧はもう少し後のことなんでしょうね。 南鉄 |
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南鉄/宮津覚 2014/06/16 02:42 |
すいません、ちよっと訂正です。 湖西線建設で先行して廃止された江若線は「近江今津以遠」では なくて「近江舞子以遠」の間違いです。 湖西線開業時点で残りの近江舞子〜叡山間が廃止されます。 南鉄 |
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