▼ | 【1995】【こだ運25】総合スレッド 南鉄/宮津覚 2018/05/29 00:48 |
【2039】【Nダイヤ】相鉄の史実 南鉄/宮津覚 2018/06/17 00:26 |
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南鉄/宮津覚 2018/06/17 00:26 |
ダイヤ運転を楽しんでもらうために、相鉄の史実についても少し書いて おきましょう。 現在の相鉄線は大正末年に開通した「神中鉄道」の厚木-二俣川間に始ま ります。ほぼ同時に厚木まで開通したのが「相模鉄道」でこっちは現在の JR相模線です。どちらも相模川の砂利輸送が目的で地元資本で設立された ローカル鉄道だったわけです。 神中鉄道は順次路線を伸ばして漸く西横浜へ、ここから先は国鉄の貨物 側線を譲渡してもらい横浜まで全通したのが昭和8年です。全線単線、非電化 でCタンク数両と2軸オープンデッキ客車10両に貨車。なんとも小世帯です。 それでも、両社ともガソリンカーやディーゼルカーの導入は早く、相模鉄道の 方には流線形の電気式ディーゼルも導入され、後に神中線の電車に化けていま す。 「相模鉄道」と「神中鉄道」は厚木で接続していたのですが、本当の厚木町 は相模川対岸にあって、小田急が全線複線電化で開通すると本厚木(当時は相模 厚木)駅ができました。なので相鉄の厚木(貨)も現在のJR厚木も海老名市にあり ますのでインチキな厚木ですね。 神中鉄道は小資本で経営状態も悪かったのですが、本厚木への乗入れを目指し 相模国分で分岐して海老名へ延長、ディーゼルカーでの小田急本厚木への乗入れ を開始しています。戦時中の乗入れ中止を経て戦後も暫くは電車での乗り入れを 行っていましたね。まあ、昔の海老名は一面の田んぼと畑で駅前も何にもありま せんでした。 経営状態が悪い神中鉄道に目を付けたのが東急で、昭和18年には相模鉄道を 存続会社に両社を統合。しかし昭和19年には東海道の戦時迂回線として旧相模 鉄道の相模線が国有化され、体力の尽きた相鉄は東急に経営委託する状況になり ます。 それでも海軍の厚木航空隊等への戦時輸送で輸送力がひっ迫してきたので、 東急の支援により電化と複線化が進みます。当時は大東急の時代、横浜-二俣川間 は600Vで東急から給電、電車は目蒲モハ1、二俣川-海老名間は1500Vで小田急から 給電、電車は小田急モハ1。乗客は二俣川で乗換え。で、横浜-海老名間の直通が 1本だけあってSLけん引の2軸客車だったというのだからすごい。 1500Vに統一されてからは暫くは京急が給電したと。京急からは湘南の複電圧車が 台車を代えて応援入線したこともあるらしい。 戦後復興期は車両が足りないので、17M木造国電の焼電やら、青梅のモハ500、 京王1400の焼電などかき集め復旧。自社発注のカルダン車5000系の新造と並行し てクモハ11型の中古放出車も買って、いわゆる相鉄2000系一族42両を全金車体に 載せ替え形態統一化。 昭和30年代の後半からは沿線人口が爆発して、相鉄の代表6000系を猛烈に新造 増備することになります。編成も戦後の2-3両から4-6両へ、その後7-8両を経て 現在は8-10両になりました。沿線も現在は昔の面影は全くなくなりましたね。 相鉄の車両たちも個性的というか独特です。最近は随分変わりましたが、まあ 京急みたいにビューンと走ることなく、ユルユル走るのが相鉄クオリティーです。 やたらとパンタ車が多くて、載ってるパンタも使いまわしでバラバラ、台車も 同一編成の中で色々違ってたりします。模型だと綺麗な編成ですがね。 長い間、直角カルダンと空気ブレーキのみにこだわっていたり、旧型車をアル ミ車に車体更新して、後には冷房化、カルダン車化したりと。まあ、へんな会社 ではあります。そんなんだから廃車になっても引き取り手がなく全車解体処分さ れるので相鉄の車は相鉄でしか見れません。 南鉄 |
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