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▼ | 【61】旧伊勢電の線路跡・1 きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 00:34 | ![]() |
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【62】旧伊勢電の線路跡・2 きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 00:35 | ![]() |
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【63】旧伊勢電の線路跡・3 きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 22:37 | ![]() |
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【67】旧伊勢電の宮川橋梁 きんぎょ/中澤寛 2005/04/23 22:42 | ![]() |
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【83】Re:旧伊勢電の宮川橋梁 きんぎょ/中澤寛 2008/10/04 19:23 | ![]() |
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【64】RE: 旧伊勢電の線路跡・1 南風/鍋島修 2005/04/23 03:00 | ![]() |
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【65】RE2: 訂正ですm(__)m 南風/鍋島修 2005/04/23 22:29 | ![]() |
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【66】RE2: 旧伊勢電の線路跡・1 きんぎょ/中澤寛 2005/04/23 22:42 | ![]() |
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【68】旧伊勢電の線路跡・塔世橋 きんぎょ/中澤寛 2005/05/06 18:52 | ![]() ![]() |
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【69】旧伊勢電の線路跡・津興橋 きんぎょ/中澤寛 2005/05/06 19:15 | ![]() ![]() |
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きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 00:34 |
GWに広島運転会に向かう途中、松阪に1泊することにして、周りの地図を 眺めているうちに、ふと気づき、旧伊勢電の線路跡をたどってみました。 時間があったら、現地に行ったときにクルマを走らせてみたいと思います。 ちょっと長文なので、分割します。 −−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−− ・伊勢電の線路は、江戸橋から、現近鉄名古屋線の東側を南下して、海寄り へ行くのだが、それらしき道は少しあるものの、津駅付近になると判別出 来ない。 ・津駅と国道23号の間を南下し、安濃川を渡るとすぐに左折して、国道を直 角に横切っていたとのこと*。愛宕町付近から国道の海側へ延びていく道 があり、これがおそらく旧伊勢電の線路跡であろう。 国道をはさんで、名古屋線が津新町に西に膨らんでいるのと対称形に、海 側へ大きく回った道路は、他の津市内の街路とは明らかに違う方向に走る 廃線跡特有の線を描いている。 ・道路は、海にかなり近い所で、岩田川を渡る。橋の構造物が鉄道時代のま まとは考えにくいが、そのままの位置に今も橋が架かっているのだろう。 ・紀勢本線の阿漕駅の南、阿漕浦あたりから、ゆるく西へカーブし、松下電 工工場近くで、海寄りへ斜めに曲がって来る国道を、ほぼ南北に横切る。 ・津競艇場の山側を、紀勢線と国道の中間を並走し、相川、天神川を渡って 高茶屋駅の東へ出る。この先、紀勢線は、やや山側へ離れていく。 ・やがて、雲出川に差し掛かり、国道は雲出大橋で渡っているが、伊勢電跡 の道路は、川の少し手前で途切れる。 阿漕浦付近からずっと、津上水道(津市の水道?)が伊勢電跡の脇に沿っ ていて、この水道管?は、そのまま雲出川を渡っている。旧鉄道橋に管路 が載っているのではないかとも思われる。 ・雲出川を渡ると、神社と寺の横を行く道が少し斜めに残っているが、小野 江町の水田のところでは、全く線路跡らしき道は無い。 その先から、また突然のように、線路跡の道が始まる。再び、国道に並び つつ南下する。(続く) ※文中で「*」が付いた箇所は、鉄道ピクトリアル1975.11No.313近鉄特集増刊号 上野結城氏の「近鉄と四十年」の文・写真によるものです。 開業、廃止の日付も、上記の特集号によっています。 ※国土地理院の地図閲覧サービス2万5千分1地形図 津東部、松阪港、松阪、明野、伊勢 を、参照しました。 http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx?mesh=0000 *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** |
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きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 00:35 |
・しばらく行くと、三渡川に出る。ここの川の前後は道が途切れる。 三渡川の北詰で、国道はバイパスが海側へ別れるが、旧道に沿った線路跡 の道は、紀勢線を越えて海側へ回って来た近鉄大阪線、伊勢電当時は参急 線の松ヶ崎駅の所でオーバークロスする。伊勢電当時のまま、道路も近鉄 と駅前の道を跨いでいる。 参急の松阪〜外宮前は昭5.3.27、外宮前〜山田が昭5.9.21、 伊勢電の新松阪〜大神宮前は、同じ昭5だが開業は12.25だった。 ・更に、もうここでは並んでいる紀勢線と名松線も跨いで、道は南下する。 ・現JR線を越えると、松阪の市内へ入る。ここでも伊勢電線路跡であろう 道路は、他の道の縦横の向きとは無関係に、大神宮前を目指す。 阪内川を渡り、本居宣長旧宅の西側をやや迂回し、松阪市街地の西側を進 む。伊勢電の「新松阪」駅は、どのあたりであったのか・・・ ・線路跡とおぼしき道は、市街の西側を周って、東南に進み、町外れの金剛 川を渡り、紀勢線の徳和駅の真上を斜めに越える。 徳和駅の東を少し過ぎると、道が途切れ、この先しばらく、地図からは廃 線跡が判読出来なくなる。新松阪〜大神宮前の廃止は、昭和17年である からしかたがない・・・ ・近鉄櫛田駅の南の櫛田川を渡って、水田地帯を南東に進む道が伊勢電の跡 につながるように思われる。 昔からの街道の道とは異なり、直線的なその道は、参宮線宮川駅の西で線 路を跨いでいる。ただの道路であれば、ここは平面交差、踏切であろう。 参急に遅れを取ってはならなかった伊勢電の執念を見るかのように、ひた すら直線的な線路跡である。 ・道は、東に向き、度会橋と地図にある橋で宮川を渡っているが、伊勢電は この橋よりやや南を渡っていたと考えられる。 宮川の東側は、今の伊勢市、昔の山田の市街で、神宮の外宮の丘がすぐ南 側に控えているため、伊勢電の線路は小さいトンネルを2つ抜けて、終点 大神宮前に到達していたという*。 その2つのトンネルは、現在の地図でも、宮川を渡って外宮の西に残って いるのが判る。 トンネルを抜けていく細い道が、外宮の脇で、やや広い道に突き当たった あたりが、ちょうど「大神宮前」の駅であったのだろうか・・・ ※文中で「*」が付いた箇所は、鉄道ピクトリアル1975.11No.313近鉄特集増刊号 上野結城氏の「近鉄と四十年」の文・写真によるものです。 開業、廃止の日付も、上記の特集号によっています。 ※国土地理院の地図閲覧サービス2万5千分1地形図 津東部、松阪港、松阪、明野、伊勢 を、参照しました。 http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx?mesh=0000 −−−−:−−−−:−−−−:−−−−:−−−−:−−−−:−−−−: *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** |
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きんぎょ/中澤寛 2005/04/21 22:37 |
★マピオンの松阪市大黒田町付近の1/3000を見ると、 http://www.mapion.co.jp/ 伊勢電線路跡と思われる道路の松阪市街を通る区間には、バスが走っている のですが、百五銀行支店のそばのバス停は「新松阪」でした。 ここに、伊勢電の新松阪駅があったに違いありません。 ちなみに、昭34の伊勢湾台風の後、台風被害復旧を逆に好機として、改軌 された近鉄名古屋線が全通したのは昭34.12.12で、江戸橋〜新松阪 間の近鉄伊勢線は狭軌のまま残ったが、昭36.1.21に廃止とのこと。 ※鉄道ピクトリアル1975.11No.313近鉄特集増刊号による ★「伊勢電」で検索してみると、結構皆さん書かれています・・・ 廃線跡探訪もありました。写真も多く大変勉強になります。 地図上からだと、まったく痕跡が読めない区間でも、随分遺構があるよ うです。 http://www3.kcn.ne.jp/~vistacar/vistacar/haisen/ise_sen/01.html http://www3.kcn.ne.jp/~vistacar/vistacar/haisen/ise_den_kushida/01.html http://www.geocities.jp/hokutosei1014/myweb1_091.htm http://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/cu-sanpo/02_i/227_iseden.html http://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/cu-sanpo/27_hi/296_hitobito.html http://hp1.cyberstation.ne.jp/nishimoto/kintetusiratukaedobasi.html http://isekou.hp.infoseek.co.jp/machihaku/densya.html *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** |
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南風/鍋島修 2005/04/23 03:00 |
きんぎょ/中澤さん、こんにちは。 廃線跡めぐりですか。都市部だと廃線になってもすぐに再開発される ので、地図で追いかけるのも大変ですね。 参考になるかどうか分かりませんが、 廃線跡巡りのバイブル、JTBの『鉄道廃線跡を歩くU』にも伊勢電が掲載され ています。 鉄道ピクトリアル2003.1(No.727)『【特集】近畿日本鉄道』にも、僅かです が伊勢電に関する記述や地図が掲載されています。 国土地理院の地図閲覧サービス(http://watchizu.gsi.go.jp/)はご存知の ようなのでこちらもひょっとしたらご存知かも知れませんが、 国土地理院の空中写真閲覧サービス (http://mapbrowse.gsi.go.jp/airphoto/index.html)には、少し昔の 航空写真があります。線路跡らしきものも地図よりもわかりやすいですよ。 ちなみに、津近辺だと昭和50年の写真があり、橋脚跡もはっきりと写って います。 こちら(http://www.interq.or.jp/mars/omr/m04get/m04get.htm)には、旧版の 地図の入手方法が載っています。 □□□ 鍋島 修 == 千里鉄道 == from Osaka,JAPAN □□□ |
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南風/鍋島修 2005/04/23 22:29 |
すみません、空中写真ですが、国土地理院ではなく、 国土交通省,国土画像情報閲覧機能 http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p の方です。 ちなみに、津駅周辺の昭和50年の写真は http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKK-75-11&PCN=C10&IDX=19 です。400dpiで表示してみてください。 □□□ 鍋島 修 == 千里鉄道 == from Osaka,JAPAN □□□ |
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きんぎょ/中澤寛 2005/04/23 22:42 |
南風/鍋島修さん、こん**は。 レス、ありがとうございます。 >廃線跡めぐりですか。都市部だと廃線になってもすぐに再開発される >ので、地図で追いかけるのも大変ですね。 でも、この伊勢電のは道路で残っているほうだと思います。 最初は、ちょっと松阪に行くから、周りの地図を見ておこうか、と思った だけなんですけど・・・ *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** |
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きんぎょ/中澤寛 2005/04/23 22:42 |
>・道は、東に向き、度会橋と地図にある橋で宮川を渡っているが、伊勢電は > この橋よりやや南を渡っていたと考えられる。 かの「歴史的鋼橋一覧」のHPによれば、 http://61.199.33.80/jscelib/committee/2003/bridge/T10-030.htm 近鉄名古屋線・桑名〜近鉄長島の揖斐川と長良川を一気に越える、揖斐川橋 梁は、合計16連のワーレントラスですが、そのうちの長さが短い第1連は、 旧伊勢電の宮川橋梁からの転用とのこと。 昭34(1959)年の名古屋線改軌に際して、それまでの国鉄のお古の単線橋梁の 代わりに新調した揖斐川橋梁ですが、しっかり使えるものは転用していたわ けですね。今も廃線跡の多くが道路で使われている理由の1つでもあるので しょうが、旧伊勢電の江戸橋〜大神宮前は全線複線だったそうで、単線だっ たら転用されて残ってはいないでしょうね・・・ 伊勢電と言えば、近鉄になった後の時代「かもしか号」に使われたモ5820の タネ車であるモハニ231は、荷物室の付いた言わば田舎電車かも知れませんが、 なかなか味のある名車だと思います。どこかでキットが出ないかな・・・ 関急モハ1形のモ6301は、キットが出るみたいですね。あれも電車らしくて、手 ごろな車体長で(^^;、かなり好みなんですが・・・ アブナイゾ *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** |
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きんぎょ/中澤寛 2005/05/06 18:52 |
広島運転会に行く途中で、旧伊勢電の線路跡を走って来ました。 >・津駅と国道23号の間を南下し、安濃川を渡るとすぐに左折して、国道を直 > 角に横切っていたとのこと*。愛宕町付近から国道の海側へ延びていく道 > があり、これがおそらく旧伊勢電の線路跡であろう。 安濃川を渡る塔世橋北詰の東側に橋台が残っていました。 どうも勘違いしていたようで、今の国道はおそらく位置が西にずれているよ うです。旧線路敷とおぼしき道は、安濃川の北側・津〜江戸橋方向へは、現 国道23号の海側の街並みの中に消えています。 鍋島さんの教えてくださった航空写真を見ると、江戸橋〜安濃川北岸の間も 断片的に線路跡を追うことが出来ますね。 安濃川の南側からは、推測通りの道が立派に現役の道路で活用されています。 この先、雲出川の北まで、クルマも多く、国道の脇道的な役割のようです。 *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** 【tousebashi050502.JPG : 65.4KB】 |
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きんぎょ/中澤寛 2005/05/06 19:15 |
>・道路は、海にかなり近い所で、岩田川を渡る。橋の構造物が鉄道時代のま > まとは考えにくいが、そのままの位置に今も橋が架かっているのだろう。 などと、思っていたのは大きな間違いで、ここの橋は伊勢電のときの鉄橋の そのままの上を舗装してクルマが走っていました。 http://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/cu-sanpo/18_tu/294_iseden.html にも、詳しく紹介されていました。 添付の画像は、通過する車内助手席から娘が撮ったので、ちょっとイマイチ ですが・・・ *** 東日本電軌/愛宕軌道線 きんぎょ/中澤 東京/多摩 *** 【Tsuokibashi050502.JPG : 27.8KB】 |
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きんぎょ/中澤寛 2008/10/04 19:23 |
> かの「歴史的鋼橋一覧」のHPによれば、 > http://61.199.33.80/jscelib/committee/2003/bridge/T10-030.htm > 近鉄名古屋線・桑名〜近鉄長島の揖斐川と長良川を一気に越える、揖斐川橋 > 梁は、合計16連のワーレントラスですが、そのうちの長さが短い第1連は、 > 旧伊勢電の宮川橋梁からの転用とのこと。 「歴史的鋼橋一覧」のHPのアドレスは変更になっていました。 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T10-031.htm によれば、同じく近鉄の弥富〜長島間の木曽川橋梁第1連も、旧宮川橋梁 からの転用だそうです。 *** 東日本電軌・煉瓦坂軌道線 きんぎょ/中澤 寛 東京/多摩 *** |
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