▼ | 【2354】【こだ運29】総合スレッド 南鉄/宮津覚 2022/05/18 23:25 |
【2367】羽後交通雄勝線の概要 南鉄/宮津覚 2022/05/25 16:38 |
【2368】ダイヤ運転の雄勝線の設定 南鉄/宮津覚 2022/05/26 16:43 |
|
南鉄/宮津覚 2022/05/25 16:38 |
ども、南鉄です。 まずは、史実の羽後交通雄勝線の概要からです。 雄勝線は、奥羽本線湯沢から雄物川の対岸、羽後町西馬音内とその先の梺まで を結ぶ、全長11.7kmの電鉄線です。 盆踊りで有名な西馬音内は「にしもない」と読みます。難読駅名としてもマニア の間でも知られていて、鉄道F誌の記事で「にしもないは、なにもない!」と、また 訪問記などに「電車がやたらと遅い」とあります。 この辺りは秋田米の産地で、散在する集落以外は一面の田んぼで平坦ですから のんびりとした田舎電車だったのでしょうね。 S3、雄勝鉄道が湯沢〜西馬音内間で電化開業。その後に梺まで延長。 戦時統合で横荘鉄道に統合、戦後、羽後交通雄勝線に。 ポール集電、タブレット閉塞、西馬音内−湯沢間8.9km所要26-28分、最高速度 は25kmで明治の木造客車や貨車を引く混合列車だった。 S40年代に入り貨物、旅客ともに減少。 S40、羽後山田の交換廃止 S42、西馬音内−梺間廃止 S45、車扱いの貨物廃止、 S46、横荘線廃止に伴い、雄勝線の気動車化、羽後三輪での交換廃止 S48、全線廃止 運転は1日10往復、一部は西馬音内止まり。大半の旅客は西馬音内で下車する ので客車の運用は西馬音内で切り離し。当時の写真などでは旅客も多いのですが 本数が少ないのは、接続する奥羽本線も本数が少ないからと思います。 交通圏としては湯沢からは横手、秋田方面。現在でも半数くらいは湯沢で折返 しになっていますね。 西馬音内 羽後山田 ○−−−◎−−−◎−−−○−−−◎ 梺 羽後三輪 湯沢 湯沢は、奥羽本線が2面3線、貨物待避線があって、その向こうに雄勝線の ホーム、1面2線で国鉄側の1線は貨物発着線。跨線橋で国鉄と結ばれている。 ホームの先端側に機回し線とラッシュ用の客車の留置線が1本。 湯沢を出て左カーブで雄物川鉄橋を越えると羽後山田、1面2線の交換駅で 貨物側線も1本あったが、晩年は片面のみ使用の無人駅。戦前は松尾鉱山の鉱石 軌道が来ていたらしい。 雄物川鉄橋は開業時の費用をケチるため中古のガーダーで架橋、当局から補強 の指示あったが仮設で申請し、そのまま設計変更で何もせずというから、よくあ る貧乏私鉄の適当さではある。 羽後三輪は中間の交換駅、1面2線、西馬音内側から分岐する貨物側線1本、 貨物ホーム、農業倉庫もある。 西馬音内は中心駅で2階建ての本社を兼ねた木造の駅舎、1面2線、貨物側線 が1線、貨物上屋等あり。車庫線は2線、「西馬音内電車区」という名前は何とも 不釣り合いです。 終点の梺は、1面1線、機回し線と貨物側線2本。西馬音内の町はずれで本当に 何もないところ。この先は山ですから梺(ふもと)とは良く名付けたものです。 雄勝線の電車たちは以下のとおり デハ1、3 開業時の2軸単車、Wルーフ、丸窓、窓から煙突(^-^; 晩年は西馬音内の入換機 デハ4→ホハフ5 元日立のデハ7、路面電車然とした車体 デハ5 元王電(都電150か170)の更新前の車体で日鉄自が製造 デハ6 元西武軌道線(都電杉並線)のモハ104(4代目)、12m車 デハ7 西武多摩湖線クハ1121、元は多摩川線用キハ20(2軸ガソ)の改造名義 だが3ドア、14m車 ハフ11 M41製、青梅鉄、2重屋根で元はマッチ箱か。 ハフ13、14 T1製、新宮鉄道、オープンデッキ ホハフ2 M43鉄道院、国鉄ナハフ14106(ホハフ7570形)、 17m車木造、ロングシート ホハ二2 T4製、国鉄ナハフ14401、荷物室は入線時に改造 ワフ1、2 手小荷物車代用、明治の木造車 ユキ2、3 2は貨車改造、3はロータリー式2軸車 その他にワとかトの私有貨車があるが両数などは不明 電車は客車や貨車を4両程度牽いていますが、モーター出力は何れも31〜48kw 程度ですから非力です。速度が遅いのも頷けます(^^ゞ 私の新型ノートは85kw(116PS)ですから2個モーターでも同じくらい(^^♪ 次は、こちらの世界の雄勝線の設定です。 南鉄 |
|
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@KD113156046209.ppp-bb.dion.ne.jp> |
|
南鉄/宮津覚 2022/05/26 16:43 |
でわ、こちらの世界の雄勝線の設定です。 この時代、電鉄線で混合列車があったところは少ないです。私が見たり乗ったり したところでは、熊電菊地線の貨車や手小荷物の混合、流山の醤油を運ぶ混合くら いですか。似たところでは新潟交通が貨物も多かったですが、こちらは機関車代わ りのデワやモハで混合ではありません。銚子は当時、2軸客車のハフ1、2を多客 時に牽きましたが貨車はデキ3が頑張ってました。 ちょっとした電鉄線でも貨物がそれなりにあったところでは古い電気機関車を 持ってましたから、客車に手小荷物車に貨車とてんこ盛りの雄勝線の混合列車は この時代でも特異な存在でした。 で、ダイヤ運転用に史実をちょっと変えたり、架空設定を追加したり、運用を 少し盛ったりしてこちらの世界の雄勝線を設定します(^^♪ 雄勝線は、戦後の混乱期を過ぎ世の中が落ち着いてくると、貨物、旅客共に減 少しつつあり、輸送量の少ない西馬音内−梺間の廃止、羽後山田の交換廃止で合 理化を図る予定でいました。 その頃、近隣の地層で優良な耐火粘土層が発見され採掘が始まり、広い土地が あった梺駅近傍に「羽後耐火煉瓦製造所」が設立されて雄勝線で耐火レンガの製 品輸送が行われることになったので、雄勝線は小規模ながら安定的な貨物輸送量 を確保できることになったのでした。 これに伴い雄勝線では老朽化した電車や客車を少しはマシな中古の車両の改造 名義で在来車の車番はそのままに振替を逐次行い、同時にポール集電をパンタに 換えていったのでした(^-^; ローカル私鉄では当局に提出した書類と実車が全然違っていたりするのはよく あることで、知らぬ存ぜぬで通せるいい時代でもありました。 そんな訳で、少しはスピードアップも出来て、西馬音内−湯沢間は所要28分が 21分になりました。また、朝夕の通学時間帯の湯沢での国鉄接続の改善で増便に なり旅客は14往復。別に耐火レンガ関連の貨物のスジも出来ました。 現在の在籍車両の主なものは以下のとおりです。 デハ3 富士山麓モ1形の更新時の古い車体を利活用し再電装した。 同型車は上田丸子モハ4257、構内入換と貨物のスジで活躍中。 デハ5、6 元南武モハ100、デハ5は水間モハ251の車体を貰って更新中。 デハ7 元鶴臨モハ110、南武の支線で活躍 ハフ13、14 元加悦ハ21と元神中ハ24 ホハフ2、ホハ二2 木造車が朽ちたのでオハ31、オハ二30で振替 ホハフ5 元南武のクハを客車化 車扱いの貨物は米の出荷時以外は取扱量は多くはないが、スイカ、キュウリな どの夏野菜、木材などの発送がある。また、近年はトラック輸送に変わっている が羽後牛の出荷のため稀に家畜車がやって来ることがある。 到着貨物は、肥料、袋詰めセメントなど、現在の車扱い貨物は羽後三輪と西馬 音内のみとなっている。 梺駅からは耐火レンガが平日はほぼ毎日ワム8で発送されている。帰り便では 重耐火レンガの原材料アルミナ、シリカなどが到着する他、焼成工程用の燃料が 石油タムにて到着する。 なお、梺駅は現在無人駅で西馬音内との間はスタフ閉塞となっているが、構内 での入換の必要に応じて掛員が西馬音内から添乗し対応している。 南鉄 |
|
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@KD113156046209.ppp-bb.dion.ne.jp> |